「これはリピート無しやな~」
「これはリピート有りやな!」
「了解しました・・・」
休日の黄昏時、このような会話が繰り広げられます。
申し遅れました、第3営業部の石戸と申します。
「ゆるっと」と冠したこのブログには相応しくない内容でしょうけど、お付き合いいただければ幸いです。
今さら昔取った杵柄を気取るつもりは毛頭ありませんが、齢もとうとう五十路を越え、そしてある邂逅もあって昨年以来およそ四半世紀ぶりにバイクに跨っています。
「ええ年して今さらバイクなんか乗らんでもええやん?」
「若いころの反射神経ちゃうねんから!」
などなど、そんな突風レベルの向かい風のような声にも、
「俺は今日が一番若いねん!」
とチカラない小声でささやかながら迎撃し、行動圏はそれほど広くないながらも週末には、
“なんちゃってツーリング”
と勝手に称して一人で北へ南へ西から東へとトコトコと出掛けております。
『たなかの柿の葉寿司』 奈良 学園前 柿の葉寿司本舗たなか
さて、幸いにも?互いの仕事の都合で休日は異なることが多いため、ほとんどの週末では晴れて自由に出掛けられるわけですが、片や仕事をしていて、片や遊んでいるため、こちとら手ぶらで帰ると途端に肩身が狭くなるので、帰り道では何某かのおみやげ、それもなるべくネットでは買いにくいもので、主に和洋のスイーツ、ご飯ものならば押し寿司のたぐいなどを買って帰るわけです。
このことをせめてもの罪滅ぼしというのかどうか分かりませんが、それはともかく、食べ物選びのセンスの無さは公認、さらには下手の横好き、マイ包丁を持つほど料理好きのくせに味音痴を自認、もちろんのこと普段から呆れられているため、そこで冒頭のような会話となるわけです。
晴れてリピート有りという評価ならそれはそれで瞬きほど一瞬の円満になるのですが、リピート無しという評価なら、微妙というか、若干の不穏な空気になると同時に、
(今日は遠くまで買いに行ったのに・・・)
と、思っていても当然ながら言えず、といったところです。
また、どうやらリピートの有り無しと、距離は何らかの相関関係にあるようで、
「美味しいけど、ここまで買いに行ってこのレベルやったら近くの○○(家の近所のお気に入りの店)でええわ」
とのことで、こういうときは当然リピート無しです。
もちろん、その日の気分もあるでしょうし、家族とはいえ、そこはもちろん他人、なかなかうまくいかないものだなと思う次第です。
『たまうさぎのきなこだんご』 奈良 尼ヶ辻 たまうさぎ
ところが、望みの糸は切れても救いの糸は切れないもので、リピート無しのものでも大学生の娘にとってはリピート有りのものもあったりします。
ただ、これは極まれなことで、あまりそれには期待しないほうがいいようです。
というわけなので、買って帰ったものがどういう評価であったとしても、ここはバイクに乗って出掛けられたというだけで、
(まぁええか)
と、切り替えというか、開き直りというか、出来るだけ前向きに考えることにしています。
『菓匠香月の餅パイ』 大阪 寝屋川 菓匠香月
余談ですが、文中にある、
「望みの糸は切れても救いの糸は切れない」
とは、敬愛してやまない人が書いた、とある詩の一節ですが、完膚無きまでの負け(そもそも負けって何やねん?と思わないでもないですが)であったとしても、人の値打ちなんてそこ止まりなんてことは当然なく、敗者には必ず復活戦をする機会が与えられると信じて、人は今日も明日も、そしてこの先もずっと風を切って前に進まなければなりません。
最後までお付き合いいただきありがとうございました。